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アグリツーリズム———阿着底村

著者: ソース: 更新:2019-04-12

阿着底は石林イ族自治県の南東部に位置し、その横を走り抜く省道の「昆瀘道路」のおかげで、交通が非常に便利である。県城から11キロを離れている。阿着底村は昆明市人民政府が命名した生態民族村と民族団結模範村であり、石林県が世に出した第1陣となる対外開放「イ族アグリテイメント」生態観光村でもある。

 史料によると、阿着底村有史以来の住民はみんなサニ人で、管轄内の人名・山名・地名・村名にも全部サニ語が使われている。阿着底村は元々「干塘子村」と呼ばれ、サニ語では「阿着底」と発音し、「青山に抱かれた美しい場所」という意味である。その名は、サニ人の民間長編叙事詩「阿詩瑪」で歌われている「阿着底は良いところで、丘に高い青松の木が生い茂ている」の中の「阿着底」という地名に一致するため、干塘子村から「阿着底村」に改名した。

阿着底村サニ人の刺繍の模様は、わけもなく想像したものではなく、生活に由来するものである。独特な山川や地形、風物や特産品、普段の暮らしでよく見かける花や鳥、魚や虫、鳥や獣は、彼女たちの模写、洗練、要約を経て、丹念に練ったアイデアと巧みな組み立によって、目を奪うほど鮮やかで多様な模様になる。美雨花、ヒマワリ、八角花などの花に関する模様は、サニ人の美を愛する心理と幸福を祈る意味を表している。そして、あの小さな生き生きとしている虎はサニ人のトーテムマークである。

イ族伝統的な刺繍を受け継ぐうえで、族民間の新しいイ図案を次々と開発している。阿着底刺繍の工芸プロセスは、主に以下通りである。図案を確定した後、そのサンプルを村内外の刺繍達人に渡し、模様の一つ一つを手作業で刺繍してもらい、さらに刺繍工場でショルダーバッグ、ターバン、服装、アッパー、テーブルクロス、シーツ、傘カバー、ソファーカバー、ネクタイなど様々な製品に加工される。刺繍協会十工場十農家の様式で、大量生産されている。彼女たちが刺繍したショルダーバッグ、腰巻、シーツ、チョッキ、財布、ソファーカバー、テーブルクロス、タペストリー、ターバン、服装、コスチュームなどが既に観光商品となっている。阿着底村では「石林阿着底民族刺繍製品開発技術協会」が設立され、会員は2000人以上で、常勤従業員は20人余りである。

主な中堅は、普氏三姉妹が創設した民族民間刺繍品工場である。20世紀90年代に、普氏三姉妹(普芳、普虹、普菲)は既に阿着底村のサニ刺繍を広州、深セン、海南などの沿海地区に持っていた。現在、彼女たちの刺繍製品は全国各地、さらに香港、マカオ、台湾、タイ、ベトナム、韓国、日本、フランス、カナダ、アメリカなどの地域や国へ販売されている。彼女たちは、昆交会や広交会などの国内大型貿易博覧会やASEAN博覧会などの国際的貿易博覧会にも招かれ、その刺繍製品が大いに称賛されている。彼女たちがタイのバンコクで刺繍品の展示即売を行い、記者会見を開いた際に、商品が完売されるほどだった。現在、阿着底村の民族民間伝統刺繍といえば、村には工場があり、昆明には事務所を構え、全国にマーケティングネットワークが構築され、国内の大手取引先の大量注文を通じて国内外の市場に販売されている。刺繍製品は国内外で名を掲げている。年間総生産額は200万元以上に達している。阿着底村は石林県唯一の対外開放の「イ族アグリテイメント」観光村として、ここ数年、著しい成果を上げている。観光客は宿泊と食事の一貫サービスを楽しめることもできるし、心のおもむくままに農家の料理を食べ、農家の果樹園を見物し、サニ刺繍を見学して購入することもできる。独特の風格を持つサニ刺繍は、市場位置づけに従い、国内外市場の需要を満たすために、さらに大きく強く成長していく。刺繍業は気楽な手芸産業として、従業員が多く、家庭の主な収入源の一つであり、年間生産高は800万元以上に達している。サニ刺繍はすでにブランド化され、市場売上げの増加に従って認められている。

2005年、石林イ族自治県阿着底村は雲南省文化庁の許可を経て第1陣となる雲南省無形文化遺産保護リストに登録された。

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